もとのシンクロコード
小さくしたコードロックねじ付き
小さくしたコードロックねじなし
これが その ペンD で 子供のときからのものですから 40年以上 経っています。
ペンFT(下のペンFTも発売当初から使っていたものです。)と使いました。
乳歯の生える時期、順序 まだ歯が生え揃っていない子が 来院されたとき、 初来院時から写真を撮っておくと乳歯の生える時期、順序 の実例集ができます。
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乳幼児期の口腔内にみられる異常 乳幼児期に 歯列不正:悪い歯並び、不正咬合:異常な噛みあわせ、がみられることがあります。問題がないことも多いのですが 歯科医院で相談された方が良い場合もあります。その一例です。
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奥歯が生えおわる前の噛み合わせ 奥歯が生え終わる前の 噛み合せは不安定なことが多く、とくに遺伝的な要因が考えられない場合には 受け口に噛むことがあっても それほど 心配ありません。 ただ この時期に 下顎を前に突き出すようなクセがついてしまうと 乳歯が生え揃ったときに 受け口で噛むようになってしまうことがありますので 注意が必要です。
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幼児に多くみられる開咬(オープンバイト) 2004.6.3追加
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たまに来院される子の写真 たまにしかみえない子でも来院ごとに口腔内写真を撮っているといい資料になります。
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歯が生える時期、生え方(part2) |
歯が生える時期、生え方(part3) 2004年5月22日追加
友人の歯科医Nさんに乳歯の萌出順の話をしたところ、法医学的にいい資料になるそうです。図に乗って 徐々に いろいろな子の乳歯列完成までの写真を載せようかと考えています。 |
朝霞地区乳幼児歯科健診(検診)資料 保健所、歯科衛生士会、歯科医師会のご協力を得てつぎのような乳幼児歯科健診(検診)時用の資料ができました。
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話がそれました。
カメラの話の続きです。
つぎの メモカメラは・・・順序が違うかも知れませんが、ジャスピン コニカの愛称のコニカC35AF、このカメラは 家内の親友の結婚式の日1977年11月30日に発売になりました。前日カメラやさんから届いた このコニカC35AFを持ってその結婚式に出席しました。つぎがキャノンA1でしょう。1978年4月に長女が生まれ、そのスナップ用に35mmF2、85mmF1.2の2本のレンズ、ストロボ199Aを一緒に揃えました。ニコンF2も2台持ってはいましたが子供用にキャノンA1を購入しました。ところが長女が 生まれたとき 私は今でも 反省している一言を言ってしまいました。 家内はその 一言に 怒って 退院後 半年の間 実家に戻ったきりになってしまいました。私は この間に出た給料とボーナスで ライカM5を買ってしまいました。レンズはライカM4Mに付けていた50mmと35mmのズミルックスです。ライカM5はカメラを縦につるすタイプで非常に使いやすく、この後、ミノルタα9000、キャノンEOS RT、ニコンF5も縦につるして使いました。その後 メモカメラらしいものはとくになく、1988年のLHSA(ライカ ヒストリカル ソサエティ オブ アメリカ)の20周年記念のライカM6が散歩用カメラとなりました。このカメラは初め20台限定で作られるという案内がだされましたが、期日までに支払いを済ませば希望者全員に頒布するということになったものです。結局43台が作られたようです。私のM6のナンバーは20-01、つまり 1番でした! 普通なら こういう番号は会長とか顧問とかが初めから取って置くのではないでしょうか。 なんという フェアな考えをもったクラブでしょう!このことをLHSAの機関誌ヴューファインダーに投書したところ掲載され そのしばらくあとに カナダの会員から「知人が持っているM4-PとR-4のエベレストを買わないか」と手紙を頂きました。私はカメラは使うもので飾っておくものではないと考えておりましたので、一度は要らないと返事を出しました。ところが「知人の会社が倒産してどうしても処分したい。ただし箱から一度も開けていないので写真はない。」というのです。ライカの一眼レフは使うには良いでしょうが、どう考えても私は使いません。それでM4-Pだけ引き取ることにしました。」 着いたのは まったく開けていないM4-Pとこのときの(カナダのエベレスト登山隊の成功)記念のポスターでした。このポスターは後年ロンドンに行ったときにP.H.vanHasbroeckにあげてしまいました。たいていの方と同様に私も普段はカメラは使うために買いますが このM4-Pともう一台使う目的がないのに買ったことがあります。それは カメラショー20周年記念に日本の各メーカーが各20台の限定で 東京と大阪の会場で販売したもので 私はニコンFEを購入しました。このボディは黒色塗装で茶色のトカゲ革仕様、裏ブタにはTT-1~TT-20のプレートが貼られていました。このカメラも一度も使ったことがありません。このLHSA M6ボディには35mmズミルックス アスフェリカルをつけて ずいぶん使いました。私がこの会 LHSAに入ったのは 1979年9月22日に開かれた 中川一夫さんの写真工業社刊「ライカの歴史」出版記念講演会で たまたまお隣に座っておられた 大阪からお見えのTさんに勧められたからです。サンノーカメラのスタッフの方々の協力で開かれました。講演会の後サンノーカメラで売られているライカを見ましたが、その中に スウェーデン軍用の黒のⅢfが50mmレンズつきでありました。店を見た後 希望者は中川さんと共に山王飯店で食事をしました。当日 私はライカM4Mに35mmのズミルックスを付けて講演会に出席しました。モーターの具合が悪く(歯車が噛んでしかまい)動かなくなってしまっていたので(?)使っている最中にモーターが止まってしまったらどうしたらいいでしょうかと尋ねたところ 「簡単だよ 電池をプラスマイナス逆にしてシャッターを切ればいい」と教えていただきました。実際に 家に帰ってから試しますと 見事に生き返りました。このモーターは もともとM2のモーターライズド ボディについていたもので、M4Mと両方のボディにつけて使っていました。評判はよくありませんでしたが 私は非常に気に入っていて これも随分使いました。ちなみに 35mmズミルックスも開放で逆光のときのゴースト、フレアーで ひどく評判が悪いですが 私がライカを気に入った第一の理由は このレンズの高性能にあります。光が一点に集まる、毛糸の質感、赤色の発色 すべてに驚いたものです。ニコンF2に初めて多層膜コーティングされた発売直後の35mmF1.4のニッコールを付けて使っていましたが、始めのレンズはガラスの中にオカリナのような形の気泡が一個入っていました。熔融が難しい新種ガラスのために気泡ができる、性能には問題ない。と言われましたが 買った店で取り替えていただきました。この店は東京駅の地下街にあり初めて寄ったところでした。たまたまショーウィンドウを覗いたらそのレンズが置いてあったのです。おもわず買ってしまいました。このレンズでもズミルックスのような感動は得られませんでした。確か 中川さんが あの講演会で「非球面にしなければ ゴーストは消えないよ」と言っていたと思います。それから20数年後、2枚の研削非球面レンズを使った35mmズミクロン アスフェリカルが登場しました。このレンズは 現行製品であるのに とくに手に入れるのが困難で、新橋のウツキカメラでシーベルの新品を見つけ即購入しました。それ以来 あのLHSA 20周年記念のM6につけて愛用していました。
ステレオコダック改パノラマカメラでの作例です。フィルムスキャナーで分割して取り込みました。
2年ほど前になりましょうか あるとき 池袋から帰る途中 志木行きの地下鉄の中に このパノラマカメラを置き忘れてしまったことがあります。諦めていましたが 数日後 川越(志木より先)の警察署に届いていることがわかり取りに行きました。フィルムが入ったままでしたので帰りに川辺の桜を写しました。
ファインダーはジャンクカメラ、ジャンクレンズから外したレンズを適当に組み合わせて作った超広角ファインダーです。
UR-LEICA
エルマリートC 40mm
Leica M5 ヴィゾフレックスⅢ テレ エルマリート 180mm付き
LHSA M6TTL0.85 ズミクロン90mmアスフェリカル付き
これが私が小学3年生の時(?キャノンL2発売の年の冬)に父からもらったオリンパスのセミ判スプリングカメラです。(よく分解されずに手元にあったものだと思います。)
iD shot IDC-1000Zといって画像の記録にiD photo disk という730メガバイトのディスクを使います。この機種も私が望んでいたフォルダを作りながら撮影できると聞き購入しました。ところが専用の別売ドライバーソフトがないとパソコンで開けないという欠点がありました。もちろんパソコンソフトも買って画像の取り込みもしましたが これでは普及しません。案の定このカメラの後継機は(私の知る限りでは)でませんでした。IDC-1000Zを今日(2004年5月8日)ヤフーのショッピングで検索したところ、驚いたことにまだ100,000円以上で販売している業者がありました。
こんなことがありました。
あるとき(25年ほど前のことです)北の丸公園の芝生の上で長女を遊ばせながらいつものようにキャノンA-1とライカM5で子供の写真を撮りました。しばらくしてからその後M5で撮った写真に細い線や点が写るようになっているのに気が付きました。レンズをはずしてシャッター幕をみるとちょうど子供の頃お日様の光を虫眼鏡で紙に集めて穴を開けた時のような小さな穴が開いていました。芝生の上にレンズを上に向けて置いていたためにできたピンホールだったのです。シャッター幕の修理は医局のS先生にお願いして香港にいらしたときに香港のシュミットでして頂きました。M5のシール(レンズマウント12時の位置にある)はHになっていました。
SとLです。皆様もお手元のMのシールをお確かめになられてはいかがでしょうか。最近は個人の修理屋さんでも独自のシールを使い責任を持っておられるところもあるということです。
このM5は後にもS先生のお手を煩わせて返還前の香港のシュミットで修理を受けることになりました。それはライカM3を肩から、M5を首から下げて歩いていたときです。M3のファインダーカバー上部のかどがM5の前面ファインダーと距離計窓の間に強くあったってしまいM5のファインダーが壊れてしまったのです。中のレンズが割れて見えなくなってしまいました。S先生今でも感謝しています。このときのM3はズミクロン50mm付きで義理の弟に売ってしまいました。後年修理に出したときに程度が良くないカメラだと言われたそうで義弟には申し訳なかったと思っています。
直接カメラには関係のないことなのですが古いスライドファイルを見ていて見つけたものがあります。 1992年7月27日とありますから12年近く前のものです。 当時痛くない歯科治療のためにレーザーが注目されていました。以前 購入したレーザーはとんでもなくひどいもので殆ど役に立ちませんでした。今回のは歯が痛くなく削れるということで購入しました。まず初めに自分の歯に当てて試してみたところツーンッという神経を刺激する痛みを感じました。麻酔しなくても歯が削れると言われていましたがとてもこどもたちの歯に使おうという気にはなれません。またしても使えないものを買ってしまったと思いました。その後これはたまにある軟組織の治療(上唇小帯、舌小帯切除)に使いましたが何といっても鉄道模型のレイアウトで発泡スチロールの加工に一番威力を発揮しました。
歯の表面でどのような変化が起きているか写真を撮ってみました。
得られた画像です。高温で歯の表面が溶けガラス状になっています。
口腔内写真の撮り方のところで開業前にカメラとレンズのテストをしたと書きましたがそのときの機材のスライドが一部出てきましたのでとりあえずこの場所に載せます。いずれテストしたときの箇所に移します。
ベッサR2は すばらしいカメラです。シャッター音を小さくできれば完璧ですがとにかくこんなにいいカメラは久しぶりです。ベッサTで使えなかったレンズズミルックス 35mmなどが使えるようになって理想のカメラに近づきました。
以下思いつくままに勝手に述べます。
現在ライツのステマーなどは非常に高価となっています。ステレオニッコールなどめったに見ることができません。ステレオ写真には何十年かの周期があるようで今から次ぎのブームの時のために開発するのもいいし、最低何個の注文が集まったら製品化するなどとして希望を募るのもいいと思います。
考えていることに進歩がありません。
私の 2802670(シュミット)はここに入る。
散文孝散人